ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

自分を殴らない。

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土曜日、うたたねをして目覚めたら胸から肩にかけてが気持ち悪くてだめだった。

軸がぶれている時に出る症状だ。

 

最近他人の悪意によくあてられる。

使徒」はだいたい若い女性で、他人への悪辣な言葉を私のすぐそばで吐いて去ってゆく。それは友達の悪口だったり、世の中への批判だったり、年上の女性への年齢差別発言だったりするのだけど、その中のいくつかが、私の胸にサクっと刺さる。

「これは君へのテーマや」と、ガイドのオッサンに言われているような気がする。

昔から私は、怒っている人やネガティブな感情を露わにしている人の近くにいるのがとても苦手だった。

自分が怒られているわけでもないのに、なんだか責められているような気がしてグッタリしてしまう。

勝手にいっぱいいっぱいになり、負けじと毒を吐いたりしてしまい、あとで恐ろしく落ち込む。

 

瞑想をして、静かな気持ちで、毒を吐き続ける彼女たちの中に悲しみを見ると、私のモヤモヤも少し落ち着いた。

お金持ちの彼氏を持つ友達の悪口を言うのも、年上の女性を「ただのおばさん」と切り捨てたくなるのも、愛がほしいからだ。「私だって愛されたいのに」を隠して隠して、その覆いが腐って漏れてきた汁を私は浴びたのだと思う。

 

彼女たちの悲しみは、私の悲しみでもある。

共感っていうのは、他者のなかに自分を見つけることだから。

そりゃ、ネガティブなエネルギーを撒き散らかす人の側にいるのは誰だって不快だし疲れる。

無理してすべてを理解で包み込んであげる必要もない。

でも、自分が言われているわけでもないのに責められたような気がするのは、もれなく私が私を責めているからだった。

「あーあ、私ももうイイ歳だし、価値がないのかなぁ」なんて密かに思っているのは私なのだった。

ほんとはそんなことないんだけどね。

 

そういうふうに、毒気で武装した人々のなかに「小さな子供」をみつけることで、他人が怖くなくなるし、すこし許せるようになると思う。100%じゃなくても、けっこうな割合。

そして、もし万が一、直接的に自分のことを他人から責められたとしても、それは自分の問題じゃなくて相手の問題。

 

軸がブレるときって、かなりの割合で他人に対する恐怖心があるような気がする。

でも、どんな嫌なヤツもみんな小さな子供を心に住まわせていて、どれだけ正論を言っているように見えても、その子供の叫び(感情)に従って発言したり行動しているのだと理解することは、自分の心を落ち着けてほっとするために良い手立てだと思う。

みんな同じ人間だ。

そのためには何より、自分の中の小さな子供を大切に。

あとは美味しい紅茶を飲むこと。