ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

大仏でも建てる気か〜疫病と感情〜

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まあそうなると思ったわ。

って感じだ。何がってと、ついにうちの会社もマスクの基本着用と休日の外出の自粛を通達してきた。マスクはどこへ行っても品切れだけど、無論、現物、ないし現金支給は一切ない。まあ真剣に探してもいないけどさ。

 

あんな紙と布の間みたいなものが「たまごっち」かってほど幻化している昨今、いつ何時もマスクを欠かさない人は仕入れの特殊ルートでも持っているのかい?大久保あたりにマスクカルテルが?

 

そもそも私は咳が出て人に迷惑をかけそうな時以外は、マスクを着用しない人間だった。

理由は長くなるので端折るけど、だからってたいして風邪もひかないし、インフルエンザもここ20年以上かかってない。

 

10年前、私が受付窓口に勤めてたときは、イメージの観点でどんなに風邪を引いててもマスクを着けて接客しちゃダメだった。

だから、自分を守るための選択肢が増えたのは良いことだとおもう。

裏を返せば、着けない選択肢も残してねって思うんですよ。それくらいの心の余裕を持っていたほうがいい気がするというか。

恐怖報道に踊らされているんじゃないか?と冷静に顧みると共に、トイレで尻を拭けなくなる人の切実さも考えて、トイレットペーパーを買いこむべきか否か考える心の余裕を持つことは大切なんじゃないかな……つーのもね、うちのトイレットペーパーあと3ロールしかないからね!どないすんねん!草で拭けってか!(やめて)

 

 

昨日、新宿から電車に乗ったら、発車ベルが鳴っても乗り終えない人混み(私を含む)にむかって、ドア横に立っていた女の子が、「早く閉めてよ!」と、吐き捨てるように言った。

 

一瞬耳を疑った私が彼女を見ると、彼女は男と2人連れで、若いカップルなのだった。

カップルはそれからも、駅に停車するたびに、「まだ乗ってくるの?」だの、「え、全然降りないじゃん」だの「身動きとれないんだけど」だのと文句を垂れながら、たいそう難儀をしている様子だった。

「乗った」のも、「全然降りない」のも、隣の人を身動きとれなくしているのも自分たちなんだけどねぇ。

 

会話から察するに、彼女たちもまた例の疫病に怯えているようだった。

人混みで感染リスクが高まるとメディアで目にしてから、自分たちが人混みの構成員であることも忘れて、なんならもう他人そのものをバイ菌みたいに害悪視しているんだろう。

「お互い様」ってことを思い出せば、気持ちも楽になるのでは?と私は思っていたが、恐らく彼女たちの被害者意識は今に始まったことじゃない。

 

 

カップルって、特に若いと、2人が世界のすべてであるような、クローズな意識になりがちだ。しかも、親から祝福されない関係だったりすると尚更ね。

仮想的としての世界を勝手に組み上げて、「私たちvs世界」みたいな、ある種のナルシズムに陥りやすい。私も経験があるからわかる。

「誰にもわかってもらえない」「奪われている」という被害者意識と、「でも君だけはわかってくれる、与えてくれる」という相手への期待が組み合わさったとき、その「恋は盲目シェルター」はがっちり強固なものとなって2人を包み、そして世間から隔離する。

 

おそらく、彼女たちの世界には、「2人の命を脅かす諸悪の根源コロナ大魔王」と、「それに対して無策すぎる政府や愚民たち」という敵がいて、ていうかそもそも世の中みんなバカばっかりだから「賢明なる私たち」は、移動ひとつにもままならない思いで、こうやって神経を尖らせながら生活してんだけど!みたいなね。

むしろ疫病を通して、日頃の「取りっぱぐれ感」を見ているというか。

わかるわかるわかるでー若者よ。多分これから色んなこと(ほんとに色んなこと)があると思うけど懸命に生きような。

 

でこの連日の報道、民衆の恐怖心をオラオラに煽ってくる超絶煽り運転報道にもはやウンザリな私。何なら反発したくなってる私もまた、「みんな私をわかってくれない」って気持ちがどっかにあるんだと思うんです。

「その他大勢と私は大抵相入れない」とか。

正体不明のウイルスを過剰に怖がってる人や政府の対策に怒ってる人の中に被害者意識をいっぱい見るし、それにイラつく自分の中の被害者意識にも目を向けさせられる事案なんだなぁ。(裸の大将風に)

 

 

なんてぇことを考えながら渋谷。

ヒカリエの近くの巨大スクリーンには、売り出し中のお笑い芸人が漫才を披露したあと、「ヘルプマークをつけた人を見かけたら声をかけてあげましょう」という啓蒙VTRが流れた。

愛も、その反対も、この街にはなんでも落ちている。

何をフォローし、何にコミットし、何と同化するか。

それは、意思を超えた意思のようなものに支配されている気がする。

 

 

おわり