ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

ゆれる世界の中で

 

11月の上旬からふわふわとグラグラの間のようなめまいが起こり、終始船酔いのような状態である。

 

医者が苦手な私は何とか気合いで治らぬものかと思っていたけれど、一向によくならないために耳鼻科を受診した。

さいわい、近所にめまい専門の有名な先生がいるというネットの情報を見つける。

 

さまざまな検査と問診を経て、前庭神経炎の軽いやつ、と診断される。

リハビリと投薬で2週間ほどで良くなるはずが、(じつは私はこのとき、2週間では治らない気がしていた)

やはり3週間経っても改善しないので再受診。

 

今度は薬を変えて漢方。このまま3ヶ月治らなければ、慢性のなんとかという病気に移行するから、2週間後に治らなければ薬を強くするという説明を淡々と受け、じんわりと沈んだまま誰もいない待合室をあとにする。

 

 

明日から雨が降る、寒い夕暮れ。

帰り道に古いレストランでカキフライを食べているときに、猛然と怒りが湧いてきた。

 

私はこれからずっとこうやって、ふらふらふらふらしながら、弱々しく病院に通い、

1日何回も薬を飲み、めまいを理由に色んなことがこわくなって、飲み会も億劫になり、友達と会うたびに心配されて、誰からも心配されなかったらそれはそれで辛くなったりして、

そうやってかわいそうな人ポジションで生きていくのか。

 

じつに許し難い。私の生命において。

 

次に治らなかったら飲まなくてはならないその強い薬は、

頭の神経を鈍らせてぼーっとさせて、めまいを誤魔化すものらしい。

まったく、あの忌々しい向精神薬を思い出す。

向精神とは名ばかりの、なにひとつ精神を向上させない廃人薬。

誰が私の精神世界に手をつっこんで、この感性を鈍らせてくれるっていうのか。

とろとろと夢うつつの中で奇病にかかった儚い私スタンスで生きていけってか。

 

そういう火事場のやけくそ根性みたいなパワーが湧いてきて、グラスワインを一気に飲み干し、そして、

よーし私は健康になる。

と、高らかに決定した。

 

 

私がめまいになったのは、まず体と頭のバランスが取れていなかった。

ようは、グラウンディングが弱かったこと。

 

そして、ものごとを複雑にしすぎる思考の癖だ。

どうせわからない人の気持ち、見通せない先のこと、変えられない過去のこと。

それらを含めた巨大な糸の塊をときほぐすために精神力と時間を使っていた節がある。

(人様にはセッションで、「思考よりハートに自分の中心を戻しましょう」とか、偉そうなことを言っているくせに)

 

その葛藤はいつか大きな宝になるでしょう。

しかし今は、

とにかく世界をシンプルにすることにした。

 

やりたいことをやる

やりたくないことからはなるべく逃げる

去る者は追わない

斟酌しない

板挟みにならない

つまらない本を我慢して読まない

気の乗らない「つきあい」はパス

義理も最低限に

八方美人をしない

嫌われることを怖がらない

 

愛のないことはしないってことだ。ようするに。

健康を犠牲にしてまで果たさなければならない義務などないのだから。

 

それはスピリチュアリストとして、

めちゃくちゃ基礎の基礎の基礎。

(あー実行できてなかったかーと思うと悲しいが)

 

病気に囚われるのではなく、

元気にすごすビジョンを大事にする

体を動かし

美味しいものをたべる

化粧をする

好きな服を着る

温泉にいく

料理をしてセッションもする

なるべく、いままで通りのことをいままで通りにする。

 

そして

今まで雨水みたいに無料だと思ってた、ありあまる健康に今更ながらmajiで感謝⭐︎な日々です

ほんまにね

 

2度目の診察でもらった苓桂朮甘湯(覚えられないのでコピペ)

という漢方が、めまい止めの西洋薬より効いている印象で、

漢方に興味が湧いてきた。

 

20年ぶりに絵も描きたいし、ひとり旅もしたいし、

やりたいことは色々。

 

 

 

 

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