ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

夜明けのドキュメント

 

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何やら暗示的で生々しい手触りの夢を見て明け方に目が覚め、モヤりながら唐突に「仕事やめようかな」などと思っていたところから連鎖的に出てきたことの記録。

 

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若くして自ら命を絶ってしまった知人が3人いる。

その中のひとりが、同級生の男子。

私は、彼にとっての初恋の人だったらしい。小学生の時に、彼のおばあちゃんによって暴露された。

二十歳の同窓会で会った時、自ら申し出て家まで送ってくれたんだけど、それは今後の2人の展開を期待してという含みのある雰囲気ではなく、彼が自分のためにやったのだという、きっぱりと清々しいものが伝わってきて私の気分も軽かった。

その5年後に自殺してしまった。

亡くなる2日前に、うちに来た。

たまたま私は帰省していて、ほかに誰もいない部屋でうたた寝していた。

で、起きるのが面倒だった私は居留守を使った。(仕事で父と関わっていたから、父への用事だと思ったし)

訃報をきいたとき、なんであの時出なかったんだろうと後悔した。

その後悔は、ぼんやりといまも心の中にある。

その彼がちょっと前の夢に出てきた。

朝焼けのような空色をした美しい海辺に静かに立ってこちらを見ていた。

目が覚めて、そういえば命日が近いことを思い出した。

冷たく晴れた2月のことだった。あの日はたしか。

 

ところであの日、うちを訪ねたのが彼だと、自室のソファーにいた私は、なぜわかったのだろう?

声だけが唯一の手がかりだが、いま思い出そうとしてもまったく彼の声は思い出せない。

そしてなぜそのことに今日までひとつの疑問も挟まなかったのだろう?

帰宅した親にも確かに、

「さっき●●君が来たけど、寝てたから居留守使った」と、はっきり告げたのだけれど。

私は今日まで、玄関に立つ彼の姿を覚えているつもりでいたけれど、よく考えれば(いや、よく考えなくても)昼寝の邪魔をされて居留守を決め込んだ私はその姿を見ていないのだった。

 

 

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小学校の頃の担任の先生は、

学業の邪魔になるようなゲーム機や玩具はすべて捨てろ、親と一緒でもゲームセンターは行くな、旅行も行くな、すべて金の無駄であると、戦時中の教師のように無茶苦茶なことを言った。

 

その時私は10歳だったけれど、親が大変な思いをして稼いだお金を使って私たちを遊びに連れて行ってくれたり、玩具を買ってくれたりするのは愛であり、また自分自身への癒しでもあるので、大学出たての若造が(自分は10歳なのになんたる生意気!)それを捨てろと指図するのはとんだお門違いだ。

それに、クソ真面目に高みだけを目指すことが人生の豊かさなのか?と、非常に腹が立ったのを覚えている。

 

あまりにもバカバカしいので、結局そのありがたい御言葉が書かれたクラス通信を私は破って捨ててしまった。

 

この時の怒りがあまりに強かったのか、いまでも時々おもいだす。

家族旅行の思い出は、いまも私のなかで特別なものだ。

旅行の時だけは、いつもギスギスしていた母も優しくて、私の気分は安らかだった。

母さえ穏やかなら、うちの家庭は平和だった。

家族4人の旅行は、鬱屈とした少女期の私を癒した唯一のオアシスだった。

だから、それを無神経に取り上げようとした教師を許せなかったのだと思う。

あの幸せな家族の一体感を、そこでのみ得られた束の間の喜びさえ否定されたようで、とても悲しかったのだと思う。

それに、旅行の時だけ唯一優しかった母もまた、旅行の時だけが唯一心を休められる時だったのだ。

それを禁止する権利なんて到底お前にはないよ、というところに、もしかしたら私はいちばん怒っていたのかもしれない。

 

 

改めてこの件に関して、大人になった私が思うのは、

いつか解体してしまう「家族」という、流動的かつ濃密なコミュニティで過ごす時間は、たとえそれが美術館だろうとゲーセンだろうとパチンコ屋だろうと等しくかけがえのないもので、ひとつだけ言えるのはあとになっていくら金を積んでも買い戻せないよ?ということ。

あとひとつは、

先生、あなたも愛されたかったんですよね?ということ。

本当は子どもとして甘えたり遊んだり、面白いってだけが理由の意味のないことをたくさんやりたかったんでしょう?

でもきっと、ゲームも玩具も全部取り上げられて、暗い畳の間で正座をして勉強させられ続けた。勉強ができる自分だけが唯一親に愛してもらえる自分だったから、頑張って地元の国立大学に行って学校の先生になったんですよね?

 

ちなみにその先生、数年前にここではちょっと書けないような失態を犯してしまい、きっと私たちに合わせる顔はもうない。

それも、抑圧の果てに歪んでしまった欲求が、処理しきれなくなって噴出したような事件だった。

ネガティブな出来事ではあったけれど、どこかで誰かに自分の孤独を知って欲しかったのかもしれない。

 

 

人間の行動って、ポジティブなこともネガティブなことも、多くは愛に紐づいている気がする。

愛に満たされて溢れた結果の行動、愛が欲しい故の行動、愛が欲しい気持ちを押し殺した末の行動。

そして愛が枯渇して絶望した時の行動。

 

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私が明け方見た夢というのは、虫歯の治療に歯医者に行ったら、横柄な態度の下からこちらへの性的好奇心が透けて見える医者に無許可に歯を抜かれ、痛いのと腹が立つので帰り道で友達と罵り合いの喧嘩をするという夢である。

やっぱり男への被害者意識があるのか、私は。