ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

ハートフル日誌

f:id:lovefoxx:20200220132556j:image

 

閑話休題(突如)

昨日は朝から夜まで何も予定の無い久々の休日。

仕事からも家事からも解放されて、帰宅時間を気にせず自分のやりたいことだけやるぞ!と、数日前からワクワクしていたのに、そんな日に限って夫が風邪でダウンして会社を休みやがっ……失礼、会社を休みました。

体調不良は仕方のないこと、彼も忙しいので今日くらいは休めってことなんだろう、と、頭ではわかっていても、何日も前から楽しみにしていた、月に1度あるかないかのフリーの日を台無しにされたイライラが収まらず、病人臭のする部屋で彼がゴフゴフ咳込むたびにブチ切れそうに。くっそーーー例の流行り病か?!(※違いました)

 

そのうち、連日の会社における新人教育の疲れもあり、私はお世話係かよ!!と、大袈裟にも自分が世界でいちばん可哀想みたいな気分になり、ハンドソープのディスペンサーを壁にぶち投げて壊して、おまけにゴミ箱にまで当たって家を出て岩盤浴にいった。

(女性ホルモンの乱れ)

 

修行僧のように岩盤浴に入り、2時間くらいやってフラフラになって出たんだけども、こんどは頭が痛くなってきた。

最近元気なものでスッカリ忘れていたが、私は偏頭痛持ちなのだ。

 

それでも夕飯の材料を買って、ほんとは「なーんにも考えずに夜まで遊ぶと決めていた」休日に掃除をして夕食の用意をした自分を褒めてあげたい。

そして今日も今日とてまあまあに忙しく、ロキソニンの副作用で体も重く、とにかくすべてがアンニュイだった。

連休をください、神様連休をください。遊ぶ金はないけども。

 

仕方ないので仕事帰りに近所の「餃●の王将」へ入り、450円の炒飯を食べながらボートレースばっか行ってそうな店長(偏見)の趣深いエロスに目を細めたのが唯一の癒しです(は?)

 

 

そうだ。

スピリチュアルカウンセラー養成講座の課題で出た「ハートで語りかける」ことの奥深さをこのところひしひしと感じている。

電車でギャン泣きしている赤ちゃんに、心の中で「うーん、どうしたんだい?まあわかるさ、満員電車というのはどう考えても不快だもんね?理性で乗るもんだからこれは。みんなも嬉しくて乗ってるわけじゃないんだ。だから泣きたくなるのもわかるよ」

と勝手に語りかけたら泣き止むという事案が発生してからというもの、なにかとそういう風に他人に心の中で勝手に話しかけている。

日本語の教科書を読んでいる外国人には「えらい!がんばってねー!」

若いお姉さんには「その髪色素敵だわ!とても似合ってるわー!」

サラリーマンには「今日も大変でしたよね?おつかれさまでした」

そういうふうに声に出さなくても一方的に心を開くことは、相手からのリアクションや見返りをまったく求めない行為で、なかなか自分本体が元気じゃないとできないものなのだ。

 

というかつくづく私は元気になったな。

中学生くらいから基本的にずっと「体がダルくてやる気が起きない、何をやるのも億劫」という淡い絶望の中で緩慢に生きていたのに、ここ1年くらいかけてミチミチに元気になって、やりたいことや行きたい場所がいっぱい出てきた。

 

休日も元気に出かける私を見て、スピリチュアル懐疑派の夫も一定の効果を認めるようになったみたい。

本来の私は、こんなに好奇心旺盛で楽しいことが好きだったのだな。ただの躁でないことを願う。(ほんとにな)

 

これは今思いついたんだけども、お店の店員さんにも「まじでありがとーーーー!」という激しいありがとうを込めて、いつもの「ありがとうございます」を言ってみたらどうか。思いたったらすぐやる君。

 

 

【気づき】何となく目に止まって、心の中でコミニュケーションしてしまう人っていうのはたぶん自分と似た波動をもってる人。理由はないけどそんな気がする。