ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

アガること、ほっとすること。

f:id:lovefoxx:20200404060448j:image

 

最近またコスメ熱が再燃しており、お宝情報(死語)を探してネットクルーズの日々。

自粛ムードでも仕事には行かねばならず、できることのなかで楽しみを見つけようってなったとき、いちばんに目が行くのがメイクだ。

だいたいコロナ以前に仕事がつまんなさすぎて超嫌々になってしばらく経つんだけど、いま辞められないなら辞められないなりに、通勤というルーティンのなかでささやかな楽しみを見つけようと思い、その頃から顔やファッションなどをちゃんと自分の気にいるように丁寧に整えて会社にいくことにした。

マツゲも昔みたいにビューラーで上げるようにした。マツゲが上がってると顔が女子になるので、気分もちょっと上がる。

しかし、女子には、アガりたいときとほっとしたい時の両方があるのだな。

アガりっぱなしじゃ疲れるし、ほっとしっぱなしじゃ緩む。その加減は心が知っているので、その時々の気分に寄り添って行動を選ばせてあげるのが愛なんだと思う。

2000年代初頭とか、SATCが流行った頃とか、当時の大人の女性の間ではアガりっぱなしのムードが流行ってた。女子たるもの、いかなる時もビシっと背筋を伸ばして、ヒールの靴を履いて、がんがん恋愛して、がむしゃらに働くのがかっこいい、みたいな風潮。

当時の私は呑気な女子高生だったけれど、あれっていま思えばかなりみんな無理してたんだと思う。

無理してるってことは、ドーパミンは出てても、もはや本音の本音はアガってもない、ほっとしてもない、いちばんハードな状態。ハートの声を無視して、「おらおらー!アガれーー!」と、自分に鞭打っているということ。

 

そういうお姉さん達の背中を見てるから、我々世代もやっぱその余波を引きずってる。

でも、私たちよりすこし世代が下がると、不思議とユルめることも上手になってる。ファッションも、「女の鎧兜」だった前世代とちがって、どこかリラックスしたムードを取り入れるようになってるし、当然上の世代からは甘いとかゆとり世代とかって叩かれることもあるけど、見方を変えれば自分への優しさを見失ってないとも言える。

 

コスメの話に戻すと、デパートのコスメ売り場はアガる場所の総本山だ。私にとってのワクワク、ときめき、向上心、それらのすべてが満たされるブリブリに波動の高い場所だ。

だから、そこで買う化粧品もアガるもの。夢と希望を与えてくれるもの。

一方で、地元のドラッグストアはほっとする場所のひとつである。ユニクロのダウンでも、毛糸の帽子でも、すっぴんでもよくて、自分をケアするアイテムにいっぱい囲まれて、ほのかな薬品とシャンプーの匂いがして、心が休まる。

ドラッグストアで安い化粧品を買うことは、テキトウな格好で買いにいくことも含めて、頑張らない自分を許すということでもある。デパートへ行ってもっとお金を出せば、より効果の高い、より自分を磨いてくれるアイテムがあるんだけれど、そうじゃなくてもいい、自分を高い場所に押し上げないことを許すってことでもある。「高くない自分」も許すってことであり、それはやっぱり愛だ。

 

そして、アガりもしない、ほっとしもしないことは、なるべく人生でやりたくないなぁ。

やりたくないと言ってもやらざるを得ないのが人生だし、その葛藤にも学びがいっぱい詰まっていることはわかってるけど、選択肢がある場所では、より自分への愛がある方を選びたい。ワクワクするとか、落ち着くとか。

 

ていうかこれ書いてて思ったんだけど、だいぶ昔にタモリが、「女性ってのはほんとにドラッグストアが好きだね」と、恐らく某スタジオアルタからの生放送で言っていて、確かにそうだよなぁーと思い、なんとなくその言葉を覚えてた。いままで理由はよくわからなかったんだけど、それって自分をケアする、感覚的に心地よさを与えてくれるアイテムに囲まれてるからじゃないかな。そういうものに吸い寄せられるのが女子なんじゃないかな。