ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

男嫌いなビッチの話をする。(最暗部)

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恐れ、について考えていた時に、いくつか出てきたことがある。

 

ぶっちゃけた話をすると、私は長いあいだ男嫌いだった。

昔よりは遥かに和らいだとは言え、完治に至ったかと言われると微妙なところ。梅雨になると痛み出す古傷みたいなものだ。

 

無論、家族や友人など、身の回りのすべての男性を個人として嫌いなわけではもちろんない。

けれど、男という生き物は私を傷つける、私から尊厳を奪うものだと、腹の底の方でおもっているんだな。

私にとってまあまあキツい精神的事実として、私の恋愛のある部分は、男性への復讐だった。

男の人は愛をくれない。私の欲しいものをくれないどころか、奪うばかりだ。だったら奪い返してやるわとばかりに、無実な人を傷つけたりもした。

私はお前たちによって傷つけられたの。

その罪を償えと言わんばかりの悪意を、無関係な男性に向けて。

「男嫌い」と「愛への渇望」が組み合わさったとき、とんでもなくタチのわるい魔女(地雷とも言いますね、世間では)がうまれる。でも魔女はなりたくて魔女になったわけじゃない。そして彼女たちは自分の妖力で自家中毒に陥るのだ。

 

彼らを通して私が復讐したかったのは、かつて私をいじめた同級生の男子たちかもしれず、4歳の私に性的虐待を働いた近所のロリコンくそ野郎かもしれず、思春期の多感な心を弄んだクズどもかもしれず、不安定な母のことも、そして不安定な母による仕打ちからも私を守ってくれなかった父なのかもしれなかった。

 

だから、私には、女嫌いの遊び人の気持ちもめちゃくちゃよくわかる。

そういう奴らにかつては尻の毛まで毟り取られて(言い方)憎たらしいはずなのに、ほんとうはあなたの気持ちが私にはわかる。

私たちは鏡なのだ。

何を隠そう、弟がそういうタイプだった。

弟と食事をしている時、とても美しい女の子が、憎しみをいっぱい溜めた目をして乗り込んできたこともある。そして私には、彼女の気持ちもわかるのだった。

 

私と弟とは、不安定な親子関係に縛られた家庭を、その冷たい夜の底を、手を繋いで裸足で歩くような幼少期を過ごした。

だから私たちは同じ波動をしていて、どこへ行ってもカップルと間違われた。

何も知らない女の子から、勝手に妬まれたこともある。

 

誠実でやさしい男性は嫌いだった。

そして不実でつめたい色男ばかりを追いかけた。

私のほしいものは、彼らが持っているような気がした。

だけど、「愛してる」とか言われると、私の中の深い部分がさっと凍るのだった。

 

 

夫との結婚は、するべくしてした。

条件で選んだ人ではなかったし、かと言って燃え上がるような情熱でもなかった。

でも、お互いの人生に関わることが当然の人のように思えた。

無意識のうちに私が彼に求めたのは「親の愛」だったと思う。

そして奇跡的に、夫はそれを与えてくれている。

夫の寵愛を受けても、私の男嫌いが完治しないのは、私にとって夫が「保護者」に近いからかもしれない。

(それでも前よりだいぶよくなった)

 

私の中に棲むちいさな私は、「ありのまの自分で、何があっても愛される安心感」をどこかでやり直す必要があった。

だから今の生活はとても幸せで、感謝でいっぱい。だけど、夫と妻という本来のエネルギーの交換が行われていないことにほんのすこしの後ろめたさもある。

 

いつか完全に傷を癒したあとに残るステッチのような跡を、今度は白魔法にして誰かのためにつかえたらいいなと思ったりして。

 

 

「恐れ」についてと「過去世」についての課題が同じ日に出たのは日程的にみて偶然のはずだけど、この2つはやはりリンクしている気がしてならないなぁ。どうでしょう?