ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

「自分を責めちゃダメ!」も苦しいよね。

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自分を愛することの大切さって、もしかすると「自分を愛せてない」と感じている人の多くが、耳にタコができるくらい聞かされたかもしれないと思うんですよ。

 

ちなみに私、初めてみちよさんのセッションを受けたとき、「自分を愛しなさいって1万回くらい聞かされたけどまったく意味がわかりません」

って遠い目で言ったの覚えてるからね。

 

そんな時の私が考えていた「自分を愛する」とは、今の自分ではない、素敵な誰かに成長して、その姿に酔うことだと思っていた。

だから、素敵な自分になるためのHow toをずっと必死で探していたんですよ。

それは職業だったり若さだったり容姿だったり性格だったり、「こんな彼に愛されたら自分のことも好きになれるのに」と思うような魅力的な男性だったり。

 

でもそれってベースに自己否定があるのね。

「ありのままでは愛されない」という恐れが、側から見たら「向上心」と呼ばれて美化されるかもしれない死に物狂い感を生んでいたわけ。

 

で、はたと「そうか、自分を愛することは、ありのままの私を受け入れることなんだ!」

と気づいて、それは大きな進歩なんだけれど、

いままで自分を責めまくってた分、

「私は一切わるくない、なにも悪くない、悪いのはぜんぶあいつら私はまじで悪くないから何ひとつ」

みたいな開き直りが一瞬起こった。

だけど、それって敵を自分の内側から外側に移しただけの偽の自己肯定であって、嘘なんですよ。苦しいんです。

 

たとえば、仕事でミスをしたとします。

ふつう、人間だったら、「やべーやっちまった」とか、「いやー!すんません」とか、思うのが自然だと思う。

大事なのは、それを「なんて私は無能なのか」という自己否定と結び付けないこと。

「やっちまったけど、仕方あるまい、人間だもの」というところに落ち着けられるのが健全な自己肯定というやつで、

「あたし全然悪くないしー!」と無理やり開き直るのは、嘘っていう意味でかえって自分いじめになるのね。

そうなるくらいな、「私は自分を責めているなぁ」と認めてあげたほうがいいです。

どうも適切な罪悪感というのは、心を守るために必要なことなんですよね。

 

ムダ毛だって必要だから生えているんだ(いきなり何を言い出すのか)だからスピ界隈では何かとムダ毛扱いされがちな罪悪感も、必要だから起こっている。

暴走させないよう、適切に手懐けるのが正解なんだね。

 

さてその線引きはというと、心の奥がザワっとするか、ほっとするかで判断してください。

「私は悪くない」

が、すこし苦しい気持ちと共にあったら、それは嘘かもしれません。(つまり、私が悪いんだ!と思ってしまっているということ)

「私は悪くない」

と思えることでほっとしたら、それが正解です。あなたは悪くないです。

 

「自分を愛する」も同じで、無理やり思い込むことではないのです。

むしろ、「全然愛せない、私はまじでダメな奴だ」と思っている、その気持ちに静かに寄り添ってあげてほしいです。

だって仕方ないじゃない。そう思ってしまってるんだから。

ネットでも雑誌でも恋愛コラムでもYouTubeでも、耳にタコができるくらい聞かされている「自分を愛する」という言葉。

あんなに言われたら、できない自分を劣等生のように感じてしまうよね。(私も言ってますしね)

でもそれだと可哀想なんですよ。

周りからもやんやんいわれて、自分でも「なんで自分を愛せないんだよ!」と思ってしまうと、

自分をうまく愛せないんだよねー、私ってダメな奴だなぁと感じてしまっている本音の「私」には、いったい誰が寄り添ってあげるのでしょうか。

 

そして、その「あーあ私ってダメな奴」にとことん寄り添って、否定しないで味方でいてあげる。「自分を愛せない私」もまるごと肯定してしまうことことこそが、「自分を愛する」だったりしますよ。

 

 

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