ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

美しさの呪い

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ところで私は美容が好きだ。

いちばん最初に就職したのは化粧品会社だったし、若い頃なんて、それこそ寝ても覚めてもコスメのことを考えていた。
最近は少し落ち着いたけど、でもやっぱり美容と化粧品が好き。
その「好き」は、純粋に、フェティシズム的に、マテリアルとしてコスメが好きというのと(これはただのオタク)、
自分を粧うことで、(誰に見られていなくても!)気分がアガるってのが2つ目と。

 


で、あとひとつは、
「周りから見て綺麗じゃない自分には価値がない」
という思い込みがじつはものすごく強く私のコアに根を張っていて、それで強迫観念的に美容にこだわっているところがある。


話は遡ること30年余り前。

娘が「可愛い」と褒められることだけに日々の喜びを全賭けしていた母は、「可愛い、可愛い」と呪いのように私にささやいた。

愛情に加えて、彼女自身の気持ちがそれによって満たしたがっているものの存在を透かし見ていた私は、「私は可愛いから愛される(=可愛くない私は愛されない)」という意識を刷り込まれながら育っていった。


世界は奇妙な色をしていた。

大人たちの建前と本音も、それによってかたちづくられる常識の矛盾も、あらゆるものを見通していた私のマインドは、それでも、ばかみたいに「ただただ可愛い女の子でいる」ことを選ばなくてはならなかった。


おそらく家計も厳しい中、母は幼い私にたくさんの洋服を買ってくれた。
でもそれは、私が着たい服じゃなくて、「母が着せたい服」(いや、母が着たかった服だったのかも)
私の着る服について、履く靴について、髪型について。

私の要望が通ったことは一度もなかった。


嫌な言い方だけど、母にとってその時の私は、唯一自分の存在意義を確認するためのツールだったのだと思うし、
私も愛されるために、進んでツールに甘んじた。

 

田舎の幼稚園にフリルのワンピースで通う私はあからさまに浮いていて、わかりやすくいじめの対象になった。

幼稚園に通うのが嫌でたまらなかったが、はたしてこの不遇の元凶は。

冬のお遊戯室に閉じ込められるのは、新しい箸をゴミ箱に捨てられるのは、廊下ですれ違いざまに年長さんに張り倒されるのは、まず私のビジュアルが景観にたいして不調和であるあたりに問題がある。

そう結論づけた私は一度だけ懇願して、平成初期の田舎の園児の正装である「上下ジャージ」をどうにかこうにか近所のスーパーで買ってもらい、それを着用して通園した。靴も、必死の思いで「秘密のアッコちゃん」のビニールシューズを手に入れた。

今思えば、たとえ見た目をカムフラージュしたところで、どっちにせよ私は浮いていただろう。(変な子供だったからね)しかし、「みんなと同じになれた」実感は、ひどく私を安心させた。

 

「お母さん、自分の承認欲求は自分の人生で始末をつけてくれ。私に背負わせるのはお門違いもいいところだ」

今となってはそんな言葉が頭に浮かぶけれど、幼い私は無力すぎたし、そのことを指摘しようものなら怒りに駆られた母が洋服どころか私に与えるべきすべてのものを取り上げるという暴挙に出ることは明らかだった。

こうして母の価値観に同化してご機嫌をとりつづけるうちに、私はしだいに母にコントロールを委ねるようになっていった。


「私は可愛いから愛されるのだ(=可愛くない私には価値がない)」と頑なに思っていた少女にとって、

外の世界に出て「実際そこまで可愛くない自分」を知るのは誇張でなく死の恐怖に似ていた。


成長するに従い、綺麗な女の子や可愛い女の子を見ると、とても不安で、胸がざわざわした。
そのざわざわと不安は、「自己価値の揺らぎ」というものだと今ならわかる。
そして罪なき美しい彼女たちの欠点をどうにか見つけて溜飲を下げて、そんな自分の醜さに打ちひしがれて……ということを繰り返してきた。

 

こんな歴史がガッツリ心に染みついているもので、
それはもう、老舗バーの壁紙のヤニくらい染みついるもので、30歳も半ばに差し掛かった現在、忍び寄る加齢の足音も加わって、とにかく容色がおとろえるのが怖くて仕方ないわけです。(その割に平気で太るのが私のユルいところである)

 

たしかに私は老いたくなんてないけれど、ほんとうは若さにしがみつく心に勝ちたかった。

女としての市場価値(のようなもの)に振り回されない強さを獲得したかった。

あなたの容姿の価値は1円だと言われようが、1億円だと言われようが、同じメンタルでいられるだけの愛を自分の内側にほしかったのだ。いまでも。

 

極論すれば、私のここ数年の人生の不具合と、そこから起こる気づきの数々は、この「美しさの呪い問題」の集大成なのかもしれない。

ろくでもないことがいっぱいあったし、ろくでもないことをいっぱいしたし、死んでしまいたいと思うような出来事もあったけれど、

私が私をまるごと愛することができるようになれば、きっとすべて感謝に変わる日が来るのだと思って、今日もお焚き上げブログを書いています。

 

おわり!