ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

下山日誌

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きょうは息抜きにiPhoneから投稿。

ハートの安らぐことって大事だけど、私にとっては思考を使ってあれこれ考えを詰め、自分の中の真理を掴もうとするのもハートが喜ぶ楽しい遊びのひとつである。

 

だからひとたびブログを書こうとすると、MacBook Air(古いのでちょっと動きが悪い)に何時間でもかじりついて、がっつり書き込んでしまうので筆圧が凄いことになるというかね。なんか、湯気が立ってるような文章になるよね。

きょうは「緩める」の日なので、あえてiPhoneで。抑制でなく、緩める。感覚的に書きます。

 

ここ数日のパワーのぶり返し、というか、軽い躁状態の理由を探ったら、ベリーを休んでいいと自分に許可を出したとこ。と、ブログを始めたことで更なる自己解放が起こり、新しいエネルギーが入ってきたこと。

 

ベリーに関してはですね。

最近まさに3年目の憂鬱。

もはや愛憎関係にあったというか、好きで始めたことなんだけど、「上手くならなくちゃ」「ここでやめたらもったいない」あと、「みんなに遅れを取りたくない」

そして「この仲間と繋がってたい」という、喜び以外の気持ちで全力疾走してたようなとこが最近はあった。

それで昨年1年はゼェゼェ言うほど走り切って、出られる舞台にはすべて出たし、スケジュールがタイトな時は、毎日1人でスタジオ借りて練習したりもしたし、趣味の割にはかなり踊ったなという意識があって。

ちょっと無理しているなと自分でも思ってたんだけど、

年が明けてからガス欠みたいになって、振り付けが入ってなくてこの間の稽古でも先生に怒られて、「あ、これは休めってことだな」

と。

芸事なので、指導で厳しいことを言われるのはあるのだけど、「すみません!ちょっとしんどいです!」と、今回はおもったんですわ。

先生のことも慕っているし、今までなら頑張って練習していたところだけど、行くところに行き着いて、肩の荷が降りた気がした。

「もう休んでええぞ」と、天の声が聞こえたかどうかは不明だけれども自分で自分にそう言ってあげたので。

まああれだな。ベリーダンスは観るのもやるのも好きだけど、「ベリーやってる私でいたい」って気持ちもあったんだと思うよ実際。

そういう私に価値を見出してるところが。

ありのままの私でなくて、自分の価値を「できることを増やす」ことで補強しようとしていたところが。

あと、私の孤独を埋める場として機能してた。

そういうのも含めて、ベリーやってない私、ベリーを上達しない私。も、認めてあげる気になったんだと思う。

 

かくして、

「君のことは大切だけど、俺たちすこし距離を置いたほうがいいと思う。一度離れてみて、自分の気持ちをもう一度確認したいんだ。近づきすぎたんだよ、俺たち」

と、同棲に息苦しさを覚え始めた男のような台詞がでてきたわけ。3年目の憂鬱ですわ。まさに。

 

あれ、iPhone抑止力になってなくないか?

筆を変えても筆圧は高いタイプです。どうも。

癒し要素は冒頭の実家猫のみ。