スピリチュアルマラソンは走らなくてもいい〜「無条件の愛」は自分から自分へ〜
感情ってエネルギーです。
ない場所からは流れてゆきません。
「スピリチュアル」と呼ばれるものの概念や考え方を調べるために、本やブログを読んでいるんだけれど、一般的には「与えなさい」「感謝をしなさい」「無条件の愛を注ぎなさい」といった教えが多くあるように思います(私のバイアスもあるかと思います)
セミナーを開いたり、また個人の活動を通してそういう価値観を提唱している方は現に精神的にも経済的にも豊かで、「与える」というミッションのなかにさらなる豊かさを見出せるフェーズにいるので問題ないと思う。
しかし、高額な代金を支払ってセミナーに通ったり、セッションを受けたりする人たちは、「幸せが欲しい」から通ってるわけで、もっと言えば満たされてなかったり、不安があったり、迷いがあったりするわけね。
つまり自分が「欲しい」の段階にいるということ。
欲しいから与える、欲しいから感謝する、自分が愛されたいから無条件の愛を注ごうとする(この時点で無条件ではないという破綻が生じます)ということになるんだけど、そうなると、望んだリターンが無かったとき、腹が立ったりモヤモヤしたり「なんで私ばっかり」「こんなに頑張ってるのになぜ」という被害者意識が芽生えるわけです。
実際、心が満たされない時に無理やり他人に愛を注ごうとしても、心がザワっとして、そこに嘘があることを教えてくれるはずです。
さらに信心深い人になると、そういう自分の「怒り」まで否定します。
「自分の与え方が足りないんだ」とか「見返りを望むからダメなんだ」と、ストイックのギアをさらに一段入れて1日10000万回感謝の言葉を唱えたりするのかもしれないけれど、そうなると「幸せになりたい」「豊かになりたい」と望んだ当初の「私」は完全に地下に埋め立てられています。
無い所から与えて与えて与えても出涸らしになるばかりです。そんなことをしても心は喜びません。
「ある」から与えられるし、「ある」から見返りを望まないし、「自分を愛している」から「他人も愛せる」ということにぜひ気づいて欲しいんだな(なぜ山下清調)
なので、思い当たる方は、人のために祈ったり尽くしたり犠牲になったりするのをやめて、その愛をまずすべて自分へ向けてあげてください。
自分がしたいことを小さなことからやってあげて欲しいのです。
食べたいお菓子を食べさせてあげるとか、紅茶を飲むとか、寝たいなら寝るとか、家事をやらなくても自分にダメ出しをしないとか、心が「ほっとすること」をやってあげることは、「私」を取り戻す簡単なエクササイズになります。
我慢の度合いが大きい場合、一時的にすごくわがままに見える状態がくるかもしれません。
でも、それでも自分を許してください。むしろ良い兆候と捉えていいかもしれません。
すべてには振り子の法則が働くので、徐々に自分も周囲も心地よいバランスが掴めるようになってきます。
自分の自由を認めると(自分への愛で満たされると)、他人の自由も認められるようになります(他人へも愛が流れ込む)。
他人の自由を認めるということは、「他人の権利を侵害しない」ということでもあるので、我儘放題して人を困らせるとか、人に責任をなすりつけるとか、一方的な価値観を押し付けるとか、そういう身勝手なことは「すべきでない」でなく、「したくない」と思うようになります。
自分が罰せられたり嫌われるのが怖いから人に親切にするのでなくて、人も自分も同じ人間で幸せを求める健気な存在なんだということが肌で感じられるようになるので、傷つけるようなことはしたくなくなります。
それが本当の「愛の状態」だと私は思います。
相互監視的になりやすいこんなご時世だからこそ、まずは可愛い可愛い自分を、命のように大切な親友だと思ってめっちゃ大事にしましょう!!
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