ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

「やりたい仕事が見つからない」について

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「やりたいことが見つからない」で悩んでいる人って多いと思うのだけれど、それについてしばらく考えていた。

巷の自己啓発やスピリチュアル系の本や記事には、「いつか必ずやりたいことは見つかります」「あなたの使命は必ず見つかります」とか書いてあって、それがいかにも、「やりたいことを見つけてキラキラしてるのが正義」みたいな書き方だったりしてますます「見つかっていない」人を焦らせているということ。

アセンションの話もそうだけれども、悩んでいる人をさらに焦らせるような表現ってこの業界とっても多いですよね。スピに助けを求めているのに、スピでも尻を叩かれて心折れかかっている人たちがね。楽になりたいはずなのに、「スピリチュアル」というマラソンコースを走ってる。

これは無駄に人を焦らせる発信者側の問題でもあるんだけど(自分の劣等感を見ないために偉ぶる指導者とか、そもそも自分が焦り思考の人)

とはいえ、受け取る側も自分への厳しさを外さない限り、愛のあるアドバイスも自分を責める武器として使ってしまうことがあって。

 

で「やりたいことが見つからない」の話。

多くの人が「やりたいこと」=「仕事」「好きなことで食っていけること」というふうに捉えていると思うので、今回は仮に「やりたいこと」=「仕事」として話を進めます。

 

人間がハートを開くと、イエス、ノーがハートで判断できるようになります。その瞬間瞬間の積み重ねで「あるがまま」の人生が開いてゆく。だけどそうなってくると、「就きたい職業」はもはや「最後に咲く大輪の花」とか「ゴール」ではなくて、思うにたくさん伸びた枝の一部になるんじゃないですかね。

 

なぜなら、「○○になれば人から認められて自分を肯定できる」という意識がそもそもなくなるから。他の自己実現と同列になるんです。つまり、「やりたいこと」=「仕事」と捉えて、見つからなくてじりじりと焦る心の奥底には、人から評価されること、認められることを人生で一番重要とする心の動きがあるのではないでしょうか。

 

もちろん、仕事って人生で一番と言っていいほど長い時間を費やすことだし、それが模索の上位に来るのはわかる。

そして褒められたいと願うことも人間の心理なのですべて否定する必要はないんだけれど、そこに執着して焦る前に、今日、今、この瞬間、自分にいちばん好きなことをさせてあげているか。

その前に、自分の中の「好き嫌い」のセンサーはオンになっているか。ずっとずっと先を見て焦っている視点を一旦自分の足元に戻してみるといいかもしれません。

ありのままの人生が花開く順序というのは、いきなり花から先に咲くという劇的な話ではなくて、今ここの繰り返しでしかないのですよね。

今日が楽しいと明日も楽しい、みたいな小さなこと。

スピ的に言う「やりたいことが見つかります」の意味ってこういうことだと思う。

そして今日やりたい小さなことの積み重ねが「やりたい仕事」につながってゆくのかもしれない。

 

よくあるのが、これは頑張りお疲れ女子に多そうだけども「やりたい仕事が見つからない(焦)!!!」っていうのは、「やりたい仕事を見つけなきゃ(他人軸)」と「今はもう何にもエネルギーを渡したくない。休みたい(本音)」のせめぎ合いというパターンもひとつに見えてくる。

(そしたら休んでおくれー!)

 

「やりたい仕事が見つかれば人生が楽になる」という妄想を抱く反面、「仕事って苦しいよね」「結果出さなきゃ意味ないよね」という染み付いた意識も同時にあって、「好き」に従う勇気が湧かない、ということもあるかもしれません。

(やりたい=できるではないんだよー!そして「好き」の部分は何なのか。職業という枠で捉える前に、「好き」の要素を趣味レベルで満たしてみてはどうでしょう)

 

っていうか「やりたい仕事は特にない。肩書もいらない」でも全然問題ないと私は思っていて。むしろ自分を自由にしてあげればあげるほど、そういうことっていくらでも起こりうる。

やりたい仕事がなくても焦らないし、肩書がなくても焦らないし、自分が自分としているだけで人生が楽しいってめっちゃスピリチュアリティが高いなぁって思う。(やりたい仕事はなくても、やりたいことはある状態ね)

なんか最近は教育的にも、「子供にやりたい仕事を探させなくちゃ」「子供の個性を発揮させなくちゃ」って風潮ありますよね。発想の方向性としてはとっても良いと思んだけれど、親世代がそれを許されなかった分、自分の果たせなかった夢をモリモリにして子供に背負わせてる感じの危うさはあるのね。

そういうのも新時代の「呪縛」になりうるかもと思ったりね。

 

話がそれたけどもスピ本とかYouTubeとかで「やりたいことを見つけよう!」「自分の使命を見つけよう!」とか言われても焦らなくていいって話。

むしろ、「見つかんなかったら問題あるかね」くらいのドッシリ感でいいです。

で、まず「好き嫌い」のセンサーを元に戻すために、ネガティブな感情を嫌わないことが一番大切かと私は思う。「嫌い」があるから「好き」も見えることを忘れないでくださいね!

 

なので、焦る必要は無いけど、心の声を聞くことは、丁寧にやってあげるといいかもしれません。そしてなるべく、その心の声に従うようにしてあげる。完全には無理でもちょっとずつ。

そうすると、徐々に心が元気になってきます。

 

スピリチュアルマラソンは走らなくてもいいですからね!