ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

スピリチュアルカウンセラー養成講座ミディアムクラスまとめ ※修正版

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(もう講座の朝!!夏休みで言ったら8月31日終わって始業式の朝!!)

 

 

台風がきたり疫病が蔓延したりしてかれこれ1年がかりで通うことになったみちよさんのクラス。

ミディアムクラス(愛の講座)がもうすぐ終わるので、その感想と、自分自身の変化を振り返ります。

 

先週の講座の時、一緒に通っている仲間から「最初とだいぶ雰囲気が変わった、柔らかくなった」と言われた。これが人から見たいちばんわかりやすい変化なのかもしれないけれど、じつは似たようなことを、先週に限らず何度か言って頂いたことがある。

「外出自粛で太ったからでは……」とか、「時間なくてアイライン引いてないからじゃね?」とか一瞬思ってしまったんだけれども(すまん)たしかに心の持ち様は楽になっているし、クリアになっている。

 

ベーシックは自分の感情と向き合う講座で、言い換えれば愛を自分自身に向けることにフォーカスした。ミディアムクラスは、その「愛の対象」を自分から少し広げて他者へというところで、 人の心の動きとか、人のエネルギーを読むようなサイキックな要素も少し入ってきた。

 

みんなそうだったかもしれないけれど、ベーシックで自分と徹底的に向き合ったからと言って、全部が全部クリアになるわけではない。完全に自分が癒されるわけではないし、「恐れの意識」と言われるような、思い込みや思考の癖が完全に取れるわけではない。だから、ミディアムクラスでは、ベーシックで学んだ自分自身への癒しも継続してやっていくことになった。

多分、それは今後も続くものだと思う。

 

私は思考優先型の人間なので、好きでやっていることでもちょっとバランスを欠くと「○○をやらなくちゃ」「あの本読んでおかなくちゃ」とかなりがちで、それは「自分を癒さなくちゃ」「自分を愛さなくちゃ」という本質的なところへの矛盾に行き着く。「自分を癒さなくちゃ」「自分を愛さなくちゃ」の危ないところは、その向こうに、「自分を癒せば、自分を愛せば私は幸せになれる=癒されなくては、愛さなくては幸せになれない」という、今の自分への否定がうまれがちなこと。

そしてそれは、「目の前の人を癒さなくちゃ」「救わなくちゃ」という危うい義務感へも繋がってゆく。

つまりそれって愛じゃない。

 

だから、あの本読まないと、ブログ書かないと、講座の復習をしないと、○○しないと私はスピリチュアルになれない(?)みたいに思ってしまうのって、スピ的に極めてナンセンスなことなのだ。

 

日々の計画が、「やりたい!」を離れたただの義務にならないように、そして心の動きを観察するネタのひとつとして自分自身に対して注意深くなってはいた。

 

っていうのも、見えない領域だからこそ認識は様々で、簡単に(そして大幅に)歪められてしまうとも思ったから。

スピリチュアルと名のつくものを知れば知るほど割と三次元的に混沌としている(つまり世俗的で人間臭い)世界であることが感じられたので、たとえば愛の御旗を掲げて愛じゃないものを裁いたり、焦っている人をさらに焦らせたり、傷ついている人をさらに追い込んだり、何かの条件をつけて「○○しなければスピじゃない」みたいなエゴ由来の解釈に対しては注意深くありたい。

とにかくバランスよく行きたい。ネガティブを消し去ろうとしない。何者かになろうとしない。人間でいること。まぁ、人間離れしたくなる欲望って極めて人間的なものだけれど。

 

この講座での学びは、主に職場を実験台にしていた。

っていうか、実験するためだけに仕事をやめなかったくらいの勢いだからな。

好きでない人、たいしてやりたくない仕事、というものを通して、自分に対する愛をずっと実験していたような気がする。人にたいする愛も。不安はどこからくるのか、どうすればストレスを溜めない方法で解消するのか、他人を悪く思うときの自分の心の動き、その原因となるもの、AさんとBさんの仲違いの原因、それぞれのエゴが抱える傷について、そういうことを、1日仕事で感じたことを通して帰りの電車で考えるのが日課になっていた。

それは「愛だけ」の環境では手に入らなかったものだし、「愛だけ」の場所なんて地球上にほとんどない。

「もうあかん、やめます」状態(これ知ってる人いるのか)だった私が、それを逆手に取って自分のために使えるようになったことは変化だったと思う。

 

というわけで、ミディアムクラスを通して起こった変化は、より深く自分と向き合えるようになったことで、一時的な「癒された気分」「空元気」じゃなくて深い部分での癒しの難しさを知ったこと(頭で気づいても染み付いた思い込みを取るのは根気のいる作業です)、それでもかなり自分のエゴちゃんに気付けてクリアにはなったこと、なにより、何があっても「私」は私の真ん中にいて、外からの影響で損なわれたり傷つけられたりすることはない、ということを徹底して自己教育した成果がちょっとづつ現れて、ぶれにくくなったこと。

まだ自分ができはじめたばっかりという感じで、「愛の講座」の理想に到達するのはこれからかもしれないけれど、自分がシッカリ太くなれば「他人愛」も同時に起こる気がしている。

 

そして気づけば朝の5時半。

夜書こうと思ってたのに寝落ちして起きたら3時半だったからな。ちなみに寝落ちした原因は近所の定食屋で飲んだ「酔鯨」が旨かったからです。土佐の杜氏に興味がある。

 

 

おわり