ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

芸能人をリーディングすることについて

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先日自死してしまった某俳優さんについて未だにときどき考えるんだけど、

私は特別彼のファンというわけでもなく、でも気になってネットのニュースなんか見ててね、同じ人間として心が痛むと同時に、在りし日の姿を拝見すればするほど、「はぁーーーーーもうこのイケメンがこの世にいないのか」ってそこはかとない喪失感にも襲われますよね。不謹慎かな。

私のように、特別ファンじゃなくても、ズーンと来てる人は多いと思う。それだけ、影響の大きなものだった。

 

 

で、どういう要因があってどういう道筋でこんな衝撃的な幕引きになってしまったのか、その死にはどんな意味があったのか、というのは、考えるところはあるけれど、まあスピ界隈では、芸能人に限らず他者を許可なくリーディングするのは良くない、という意見もあって。

遺された人の心情、もしくはプライバシーの観点とかね。まあわかるけど。中には、「モラルに反する人は天の計らいでリーディングできないようになっている」みたいな、(あるあるだけど)道徳観念をスピリチュアルに持ち込んだような意見もあって様々です。

 

で、私個人は、デリケートな問題であることは認識しつつも、やっぱりその現象によって(今回は有名俳優の自死によって)私たちが見せられているものってあると思うから、生きている人間の気づきのヒントとしてそれを伝えるためにリーディングするのは悪いことじゃないと思った。

これも言っていいかどうか微妙だけど、プライバシー的観点とか、腫れ物を扱うように死に触るとかって、三次元の視点ね。

私たちは感情を持った人間なので、もちろんそれには寄り添ってゆく。

でも、それだけじゃなくてもいい気がする。

ただただ腫れ物を扱うように手を合わせ、ご冥福を祈り、何のモラルにも抵触せず、清く正しく優しく誰も傷つけずに生きたとしても、私たちの人生は容赦なくつづいてゆく。

その容赦のなさに、なにかのヒントが与えられるのなら、それがたとえ死者の残したものであっても、ありがたく頂けばいいと思う。

 

ていうか、「亡くなった方を再生回数稼ぎのために勝手にリーディングするなんてだめです」と神妙に言ってるYouTubeの動画にもガッツリ広告はついてるからな。

人間ってそんなもんだからな。

 

 

これからはもっと恋愛系の記事をかこう!そうしよう!と、決意をしたのは朝。

はたして。