ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

身も蓋もない不調

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これはもうチャクラでも開いてくれんことには割に合わん、というくらいの悲惨な頭痛に襲われる事が年に3回くらいあって、それが土曜日だった。

頭が痛すぎて目が開けられないとかふつうそんなあります?

これでもマグネシウムを摂ったりしてわずかながら改善してきているんだけど、土曜日はとんでもない爆弾がきて、起き上がれないというか、布団から1ミリも頭を浮かせれない。

 

そんな有様なのでカウンセラー養成講座にもド遅刻をかましていき、すごすごと途中参加。

ロキソニンを規定量オーバーでキメていったので、今度は副作用による胃のムカつきと意識の虚さにより、「本日はベンチよりお送りします……」という気分でいたんだけれども、後半のリーディング練習コーナーになると、びゅーんとエネルギーが体に戻ってきて終わる頃には元気になっていた。

 

で、翌日のお昼から踊りの稽古があったんです。

明け方またもや頭痛で目を覚まし、前日と同じような有様で起きられない。あーーーしんどぉーーーとか思っていたんだけど、行く時間になるとなぜか元気になり、アイスクリームなどを食べて溌剌と出かけましたとさ。

しっかし、2日でロキソニン5錠も飲んでしまった。やば。

 

まあなんていうかほんとに、つくづく子供みたいだよね我ながら。

 

講座で、「何事も自力でやらされるタイプの人」の話が出たけれど、それを言ったら私は何事も他力でひょいひょいとなんとかしてきたタイプだ。努力家のひとが見たら、だいぶけしからん輩であることに間違いなく、困ったことがあると、どこからともなく助け舟がやってきて、だいたいのことはなんとかなっている。(遅刻をしても、みちよさんも講座の仲間も優しかったし)でも基本的にうかうかしてるから、チャンスも逃してきたんだろうなとか。

「バリバリがんばる人生」だったらいろいろ違ったのかなとか。いわゆる人間的成長というものをもっと味わえたのかもしれないとか。

 

私がたまに辛くて騒いでいることも、よく考えたら擦り傷みたいなもんだよなぁと思ったりする。骨折しても自分で添え木して包帯巻いて山降りるみたいな人がいる一方で、私は擦り傷にオキシドールを塗られて泣いてる子供みたいなところがある。

 

その一方で、完全にすべては大丈夫で、私の人生もちゃんと花が咲くようにできている。という謎の確信も昔からある。

ちゃんと花が咲くというのは、パッとしない現在に対して輝かしい未来が待っているという意味ではなく、落ち着くべきところに落ち着くだろう、自分らしさを枯らしたまま雑な終え方はしないだろうという確信。

私の魂もそれはそれで、仕事があったのだ。

いわゆる苦労(大病とか、家族問題や借金問題、あるいは苦学や過労)が無かったことを、大山を乗り越えた経験がないことを、どこかで未熟さとみなして恥じていたところがあったんだけど私には。

でもすべては宇宙の摂理に則って、自然な配置で人生に起こっている。

 

誰の魂にも、そういう風に仕事がある。

 

 

 

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