ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

スピリチュアルカウンセラー養成講座を終えて

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紆余曲折を経て1年がかりになったみちよさんの講座が土曜日に終了した。

最後の最後まで、ぬかりなく白熱教室である。

 

そして、日曜日の私は完全な養成講座ロスで抜け殻に。

ていうか私、学校の卒業式で寂しいと思ったことがなくて。友達はいっぱいいたけど、卒業っていうのは寂しさよりもサッパリ感が勝るもだったから、小学校も中学校も高校も、教室で友達と寄せ書き書いたり写真を撮りあったりしてるうちにめんどくさくなったきて、「帰って寝たいな」とか思っていたんですよね。ゲンキンな奴。

 

それなのに養成講座を卒業した私は寂しい。

学校でも職場でも、趣味のサークルであっても、あんなにお互いを晒け出して、そしてそれぞれが受け止める関係というのは他になかったからかもしれない。

とても温かく、懐が深くて愛のあるメンバーに恵まれたし、その中ですこしずつ自分を縛るマインドが取れて、私自身の器が広がったように思う。

スピリチュアルに限らず、カウンセラーの養成講座はネットで探せばたくさん出てきます。

そのほとんどが、テクニックや理論を学ぶ場。みちよさんの講座は、たとえ技術を学ぶ段階になっても、そのベースとなるカウンセラー自身の心の在り方、人間としてのあり方を一貫して問う、ある意味で厳しい講座だった。

それは、「清く正しく生きて波動を高めなければなりません」的な教えとは真逆で、人間としての自分自身をどこまで受容するかということ。自分の怖れや思い込み、囚われにどれだけ気づいて受け入れてゆくことができるかということをどこまでも試されていた。

今振り返ると、ずっとそれについて考えていた一年だった気がする。

(幸い、私はメンタルオタクなのでそういう作業が好きだった。でも自分を刺すトゲに触るのは痛い作業でもあった)

 

仮に霊的な何かに原因があったとしても、人の悩みっていうのは感情があるから生まれる。幸せもまた感情。

「◯◯すべきなんだ」「◯◯すれば幸せになれるんだ」って頭で考えつつ変われなくて苦しいのは、置き去りにされてる感情があるから。

けっきょくのところ、「ありのままで受け入れてほしい」私たちはたくさんの理由で傷ついて大人になって、知らない間にありのままではいられなくなっている。

「いかにも正しく見えるもの」によって封じ込められてしまった「小さな私」に気づいて寄り添うことの大切さ、そのために、カウンセラー自身が自分の感情を置き去りにしないこと。そういう自分への愛をもって、希望をなくしたように見える相手の中の愛を映し出すこと。愛によって不具合を照らし出すこと。

徹底して学んだのは、こういうことだったと思う。

 

 

***

 

という記事を書きかけて寝落ちしたところ、朝が覚めたら2年使ったiPhoneが突然死していた。

電源が入らず、充電器に接続してもウンともスンとも言わないのでクソ暑い最中駅前まで出かける。執念じみた9月の残暑。おかげで、休日半日が機種変更とデータ移行で潰れてしまった。

 

しかし私、少し前からスマホを見る機会を減らそうとしていたのだ。スマホばっかり見てると、どうも情報脳になってしまうので、感じる力を取り戻すために必要以上にiPhone見ないようにしようと思ってた矢先にぶっ壊れるっていうのは一体。

おかげで、半日くらいiPhoneに頼らない時間を過ごすことができたわけ。

意外といけるな、と思った。

 

 

 

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