ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

愛に向かうことと、スピリチュアル1周年記念

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(2/24の講座のあとに感じたこと)

 

愛というのは完全で、境界がなくて、それ以外の目的を持たない。

みんなが愛を欲している。

美しすぎるあまり、魅力的すぎるあまり、曲解され、利用され、間違った形で掲げられたり、崇められたりするのもまた愛の宿命である。

しかし、それを罰したり、糾弾したりしないのも愛なのだ。

愛の名の下に、何かを害悪視するのは、もはや愛じゃない。でも究極的には、何が愛で何が愛でないかを分けることすらしないのかも。(崇高すぎる話だけど)

 

恐れの意識。自己否定とか、自己嫌悪とか、劣等感、不安、罪悪感、そういったものは、度が過ぎると人を追い詰めて、個人個人が本来持っている魂の伸びやかさを制限する。自分を自分から引き離す。そして世界を不協和に導く。

 

世界が恐れに支配されていることは、すこし敏感な人なら誰でも気づくはず。でもすべては例外なくバランスするので、恐れに支配された世界は愛へと大きく揺り戻される。きっと犠牲を生むと思うけど、それでも愛へとかえってゆく。

揺り戻しの過程で、愛そのものが混乱と混沌を生かもしれない。先に書いたように、曲解されてへんな形で掲げられて、争いが起こったりして。みんな右往左往して、まっすぐにきれいには戻ってゆかないだろう。もしかしたら、さらなる分裂を生むこともあるかもしれない。

でも必ず戻ってゆく。その時まで私が生きているかどうかはわからないけれど。

 

とにかく、勝つか負けるかが主流だったビジネスの世界も、最近は個人の楽しさや心の満足を主軸に置くリーダーが現れて、たまにバッシングを受けながらもなんだかんだで支持されている。

そういう、波動の軽い層と、いままでの重い波動で生きる層が棲み分けされる時代に近々突入していくかも。

波動が軽い層というのは、世界を支配している物質的常識に疑問を持ち、感じることを大切にし、魂の真理を探求しながら精神の幸福に迷わず向かう人々、ってかんじか。

平たく言えば、世間体とか常識とか思い込みに縛られないで心が喜ぶことをやる人。

そういう人が増えていって、増えた分だけ力を持ち、従来の物質的、競争的生き方に飲まれずに対抗できうるだけの勢力になる。

その時に、両者が交わらなくなる時代がやってくるかもしれないけど、でも永遠に交わらないわけではなくて、いつかは愛に向かう。みんなの波動も軽くなる。

 

うーん、今日の日記はほぼ自動筆記のように書いているので、わかりにくいのは重々承知なんだけれども!

感じたことの記録として。

自動筆記はちょっとした実験であり遊びです。

 

世界レベルの大きな流れについての所感だけれど、すべては個人の内面でも同じようなことが起こると思います。

現象としてはまったく同じでなくても、同じ原理によること。

分裂が極まって愛に揺り戻されてゆくような。

書き忘れたけれど、愛は恐れすら丸く包み込む。

「自分最高!」にはならなくても、欠けたところのある、ネガティブな自分さえも許してOKにする。愛は決して潔癖なものではなく、ただそこにある海のよう。

 

そして私ようやくスピリチュアル1周年記念。

1年前はどん詰まりでひとり背水の陣、右にも左にも首が回らなくなって、自分で自分の面倒が見切れなくなり、客観的な手助けがいるなと思っていた矢先、みちよさんのブログを読んですぐセッションの予約をした。

ネット界隈をうろつけば、占いもカウンセリングも山ほどあふれているのに、初心者の私がピンポイントでみちよさんを選んだのは我ながら偉い。私は昔からそうなんだけど、かなり危ない橋を渡ったり、沼に溺れたりしても、最後の最後には直感の導きにより自分にとって正確なものを選ぶことができる。と、自分では思ってる。

 

内面も、体も、生活も、とても大きく変わった一年でした。

元々、小さな頃から精神的な人間ではあったけれど、それではどうも生きづらく、物質信奉の世の中に染まったりしてグラグラしていたのが、ようやく統合させることができつつあるように思います。

軸が通ってバランスが良くなり、体の不調も改善されて、生活面での不具合も大きく解消された。

性格的にも、以前よりバランスの良い人間になった気がする。

そのお陰か、最近よく人から話しかけられるようになった。話したことのない別部署の女性から、「そのスカート素敵ね、とてもよく似合ってますね」とか、これは今日言われたんだけど、先日も別の人から同様のことを言われた。

 

なぜか知り合いにばったり遭遇することや、すこしだけ不思議な出来事や、ちいさなラッキーが重なるようになった。日常生活で疑問に思うことや困ることがあると、ヒントがやってくることが格段に増えた。

あれかな、今キャンペーン中なのかな。

「その調子や!わしはここにおるさかい!」と、スピリットガイドのオッサンに言われているような気がする。

オフィスで唇が乾いてカサカサして気持ち悪いなぁと思ってると、ファイルがバーンと倒れて、昔入れたリップクリームが飛び出して来たりするので、「ありがとう!おっちゃん!」と、その度に私は心の中で言います。

 

「最近、○○(の中には、バッグとか化粧品とか洋服とかが入る)がほしいって言わなくなったね」と夫に言われて気付いたんだけど、そもそも物質的な執着が減ったと思う。

何も仙人を目指しているわけではないので物欲をゼロにしたいわけじゃないけど、穴埋めのような買い物をしなくなった。そうだ、買い物は穴埋めだった。

でも今は、心の動いたものだけを買うようになった。

 

あとあれですね。

全方位に思考の有刺鉄線を張り巡らせて知的な隙を作らないようにする癖が私にはあり、それが自己批判とか自虐とか皮肉なものの見方を生んでいたのだけど、それがすこし緩まった。

隙を作らない、突っ込まれないようにするのって、恐れによるものですよね。

そりゃ仕事なんかで、知的な精度を求められることはあるにせよ、生きることのすべてが神経戦だったもの。

あー楽。楽ですわ。新しい感覚でとてもよい。

ほどほどにぽやーんとなった私は、だから意図せず女子化も叶ってしまい、これはあれだな。モテ期がきます。(は?)