ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

サイン、メッセージ、虫の知らせ。

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(山の温泉地から見た綺麗な朝焼け空)

 

もう10年近く前のことだけど、城崎温泉へいったとき、真夜中、寝静まった温泉街を宿の縁側から見下ろして志賀直哉の「城崎にて」を読んだ。

1日じゅう続いた雨が上がったばかりで、真夜中の舗道は橙色に濡れていた。

「城崎にて」は、生死がテーマの作品だった。ドラマティックな展開や意味づけではなく、音のない、透徹した目線がかえって生命のダイナミズムを際立たせていて、筆致から立ち上る命の香りで胸がいっぱいになった。透明で美しい夜だった。

 

 

緊急事態宣言があけてしばらく経ち、関東の山間の温泉地にこもりにいった。

最寄駅から歩いて1時間ほどで、ものすごい静かな田舎だった。

雨が何度か降って止んで、網戸にした窓から濃い緑の香りが立ち込め、ずっと夏の虫と山鳥が鳴いていた。

真夜中の4時頃に目が覚めてお風呂に行こうと廊下を渡っていたら、中庭で物音がした。

大きなガマガエルが1匹、月の光に濡れて、縁側に這い上がろうとしているところだった。

その力強さと神々しさに思わず胸を打たれた。

部屋に帰っても月明かりに照らされたガマガエルの姿が目に焼き付いてなんだか眠れず、寝返りを打ちながら写真の朝焼けを見るに至るんだけれど、思いついてネットで調べたところによると、カエルのスピリチュアルメッセージは「前進せよ」だって。

 

はっ……!!!

と思えたら良かったんだがしかし、思い当たることがなにも無くて泣けた。

 

そういえば、この日は季節外れの変わったトンボも見たんだった。それも気になってトンボのメッセージも検索したら、それも「前進せよ」だった。

どーいうこと!!!!!

(ま、こういうのは無理やりこじつけない方がいいのだ。内面を探っても何も出てこない時は放っておこう)

 

と、ここまで下書きして放置していたら、次のスピリチュアル講座の宿題が「サインについて」だった。スピの宿題について、私は何者かにサポートされている。夏休みの最終日に自由研究を代わりにやってくれるオカンみたいな奴がちかくにいて、私がウダウダしていてもちゃんとネタを運んでくるようになっている。ありがとう!ついでに愛のある職場もください!(は?)

 

なので勢いでこのままサイン、メッセージ、虫の知らせの類について今日は書きます。

じつは私、スピリチュアルのスの字も知らない時代から、いわゆるシンクロとか引き寄せとか虫の知らせとかが頻繁に起こるタイプだった。子供の頃からそうで、とくにシンクロと引き寄せが起こりまくるもんだから「これは一体なんという名前の現象なんだろう」と思って、親に聞いた記憶がある。当然ながら「知らん」とか言われたんだろうけど。っていうか昭和30年代生まれの田舎育ち田舎暮らしの親が、「それはシンクロニシティと言うのや」などと語り始めたら、それはそれでどうなってんだよって話だけど。

 20歳頃までは、飼っていた猫が事故で死ぬときは、前の日に猫が事故で死ぬ夢をそのまんま見たり、離れて暮らす母の体調が悪いときは分かったり(これはけっこう今でもわかる)そういうのってわりと普通だったのに、社会人になって「世間の常識」で自分を矯正しようとしたあたりからめっきり少なくなって、スピ開眼した最近またちょっと増えてきた。

 でやっぱり、私は夢に見ることが多い。

最近は、久々に連絡をくれる人が夢に出ることがよくある。私が想念を送って相手が私のことを思い出すのか、相手の想念によって私が夢を見るのかはわからない。でもばっちり明晰な夢を見て、「これは連絡がくるな!」と思っても何にも起こらないときもあるから気まぐれなものである。

「虫の知らせ」ってネガティブなイメージだからあんまり嬉しくないけど、ポジティブな意味のサインは見えない誰かと遊んでいるみたいで楽しくなる。

 

今日はライトな記事ですね!

 

そういえば先日、ブックオフで何となく手にとって買ってみた「オープニングトゥチャネル」というチャネリングの教科書をいま読んでいて、ガイドと繋がる練習をしている。夫に知られたら「黒ミサ」とか言われるんだろうからこっそりやってたら密教みたいになってきた。