ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

軽やかに逝く。


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高円寺で焼肉を食べていたら、大昔の知人男性から連絡が来た。

 

え、何事?と思っていたら、同じ名前の別の女と間違えたんだって。

ほんまかいな、と訝しく思うと同時に、なんとなくほんのりムカついて、「連絡先消しといてくれる?」と言ったは良いが、私自身も彼の連絡先を消していなかったことに思い至り、やはりほんのり屈辱的な気分になりながらその電話番号を消去したのだった。

 

このざわざわモヤモヤの理由に関しては、連絡がきたことに淡い承認への期待(個人への思い入れでなく)を感じてしまったからで、あっさりと期待が裏切られたのち、一瞬でもそわそわと心を浮き立たせてしまった自分に腹が立ったのだとおもう。

いまさらあんな相手に私は何を期待したのか。

いまさらあんな相手に何かを期待せねばならぬほどの渇望があったのか。

毎日たのしくやってるはずじゃないか。それとも、たのしくやってるのは、「楽しくやろうとする努力」が実っているという実感が欲しいだけのちょっとした空元気だったとでもいうのかしら。

仮に、というか事実として相手がバカがつくほどイケメンだったとしても。

いくらダルビッシュ高良健吾を足して2で割らないかんじの身長180センチの元ミスター○○大学だったとしてもだ。

そんなグッドルッキングガイがチャラチャラと何年ごしに連絡を寄越してきて、それで「あ、人間違いでした」と言われて傷つく私かいな。そもそも私と彼は恋愛関係にはなかったのだし、ましてや、いまから先方とずぶずぶの不倫劇を繰り広げようなんて気持ちはさらさらない。

でもなんとなく、なんとなくほんのりザワついたのは、やはり私の気持ちはそういう承認を求めているのだな、いまでも。

もう時効だろうから言うけど私はこの美しい男の人とかつてアクシデントを起こしかけたことがあって、結局なんにも起こらなかったんだけど、私は私の「点数稼ぎ」のために相手をその気にさせたかった。好きでもなんでもないのに。ただ外見が良くて攻略のしがいがありそうだったから。

だから負け戦の歴史として、エネルギーのうえでわだかまりがあったのでしょうね。

(ということを、セルフリーディングで癒してゆくために間違いメールを発動させたのかな?)

 

そうだねぇ。

いくら自分と仲良しになって、外部の承認をまえほど必要としなくなっても、まったくゼロにはならないな。

 

そういう自分は認めてゆくけど。

最近うすうす思うのは、私がみてた小さな世界は、あくまで私のみてた小さな世界だ。

承認のスタンプラリーを貯めてゆくことよりも遥かに楽しいことが、その世界の枠を広げた先にはあって、それがいま朧げに見えている。

毎日ちいさく自分を楽しませ、あやし、可愛がってゆく先に。

自分を愛で満たす充足感だけじゃなくて、そこから見えてくる新世界の片鱗が、私にあたらしい楽しみを与えてくれる。

例えるなら生まれて初めてトトロのお腹の上に寝た女の子が、なんだかとても大きくてユニークな存在をその下に感じているように、全容は見えないけれど楽しい予感をキャッチしている。

 

という気分で、ツインピークスのオープニングテーマを聴きながら寝ようと思います。

ご清聴ありがとうございました。