ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

若者のすべて(成人の日に宛てて)

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今週のお題「二十歳」

 

 

年末、鬼怒川温泉の帰りに寄った宇都宮で食べた餃子があまりにも美味しくて、それを食べるためだけに朝から湘南新宿ラインに乗った。

 

駅に向かう道すがら、横断歩道に止まったタクシーから振袖姿の女の子が降りてきて、「そうか、きょうは成人の日か!」と、気づく。

 

ずっしりと鮮やかな振袖に包まれた彼女たちは、まるでほころぶ瞬間の蕾のよう。瑞々しくて可憐で、未来に向けた透明なエネルギーを身体いっぱいに詰めて、世界中の大富豪が喉から手がでるほど欲しがっても永遠に手に入らない眩しさをあたりいちめんに振りまいている。

 

あの朝のことは本当によく覚えている。

普段、そんな事は絶対に口に出さない父と祖父と叔父とが、着付けを終えた私を見て、「綺麗になったなぁ……」と口を揃えて言った。

車で成人式の会場まで送ってくれた母は、友達2人と合流した私たち3人に向かって、「ほんとに華やかだねぇ」と、心底眩しそうに目を細めた。

私はこんなに皆から祝福されて生きているのだ。と、思った。その時ばかりは。

 

これは人生の皮肉のひとつだけれど、しかし20歳の頃の私は、自分の肌のハリも体力も性的価値も人生の可能性も、すべてをタダ同然の空気のように扱っていて、なんなら恨んですらいた。

皆に平等に与えられる「若さ」という価値を自覚的に運用する人はじっさい少ないのかもしれないけれど、私もまさにその1人だった。

「人は必ず死ぬ」

頭ではわかっているけれど、誰も明日死ぬと思いながら生きてはいないようにして、若さは失われるものだということを頭では理解しつつも、漫然と毎日は続くように思っていたから。

 

当時私は、神戸の女子短大に通っていた。

いわゆる「お嬢様学校」と呼ばれる有名校の付属短大で、それは勉強ができない私を見かねた母が、せめて嫁に行くときに恥ずかしくない学校を、という趣旨で選んできたお誂え向きの進学だった。もはや大学などどうでもいいと思っていた私は、母を安心させるために大人しくそこに入学をした。

私は本を読むのが好きだったから文学部に入ったのだけれど、クラスメイトは授業なんてそっちのけで髪を巻いている。そして放課後になると正門前にBMWやベンツが並び、彼女たちはそれに乗り込んで神戸の街へ消えてゆくのだ。

 

華やかな彼女たちは、毎日バンドTを着て通学しては本ばかり読んでいる暗い私を、恐らく空気か死神かのように思っていたのだろう。

卒業までの2年間、私は1人もクラスに友達が出来なかった。

文字通り、1人もだ。

出席率の悪かった私は卒業式の当日、壇上で担任から祝福されるどころか説教をされ、

クラスメイトからは「写真撮ってもらっていいですか?」と一言だけ話しかけられた。

(無論、私とのツーショットではなくて、彼女たちの集合写真のシャッターを押せという意味だ!)

 

 

今朝見かけた彼女たちの眩しさに「もうそこへは戻れない者」の代表として憧憬を寄せると共に、「かつて彼女たちだった者」の一人としても、共感を覚えてしまう。

あの時代、若さは山火事のようにタダだった。

どれだけ水をかけけても燃え盛り続けるやっかいなものだった。私は自分が花だと知らずに、膿んだ気分であの数年を生きた。

というか、自らの花弁をもいでドブ川に捨てながら生きた。

今となってはわかるのだけれど、私とはまったく違う生き方をしているように見えた華やかなクラスメイトたちにも(あのBMWにはさすがにもう乗っていないだろう)、それぞれ苦悩と葛藤と孤独があったはずで、生きることの困難さにぶつかったことがあったはずで、そういう痛い経験を通して自分を見つめてゆくことが、人間が何十年も生きる意味かもしれないと思うのです。

 

あの日、若い私が、すでに自分を花だと知っていたら。最大の自己肯定感を持って若さを謳歌していたら。

そしてクラスメイトたちが、大切なものは物質ではなくて精神なんだと、男は車でなくて心意気なんだと。そういう仏のように(或いは悟りに達したスナックのママのように)高尚な気持ちで大学生活に臨んでいたら。

そうしたら、コントラストを通して学ぶことの喜びには立ち会えなかったはずだからきっと。

 

だから、毎朝仕事に行くのが憂鬱なことも、熱意を持って取り組んでいたダンスを突然辞めたくなったことも、たとえばこれを読んだ若いあなたが、生きるのが苦しいなと思っていたとしても。振り返れば「ああ、あれが」という気づきの個人史として残るはず。

 

感情は傷ついても魂は傷つかないということを覚えていれば、自分への愛だけはぜったいに捨てないでいれば、この世が突如としてキラキラに眩しくはならなくてもなんかええかんじに三次元を乗りこなせるようになるのだー。きっとそう。

がんばれ若い子たち、がんばれみんな、がんばれ私。がんばらずにがんばろうなー!

 

 

(「自分の若さを憎めるのが若さってもんだよね」と、女友達としみじみしたりして)