ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

幸せになる覚悟

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先日、みちよさんのブログで紹介して頂いてからたくさんの方にモニターセッションのご応募を頂いて、驚きと共にとても嬉しく思っています。(おかげさまで9月の席がほぼほぼ埋まりました)

 

毎回毎回反省はあるんですけど、そして途中でワケがわからなくなってしまい、「あーーー、、、どうしよ」と天を仰ぐような気分になることもある(あるんかい)。確かにあるが、それ以上に私はモニターさんそれぞれの中に大きな光を見ていて、その輝きをどう伝えようかと思う。

あんまり伝えられないときもあると思うんだけど。

 

 

悪いものを取り除くっていう改善方法もこの世にはあるけれど、「悪いもの」っていう概念はスピリチュアルとしては無いですよね。少なくとも、私の学んだスピリチュアルには無いです。

たとえば、「性格が悪い」とかってよく言うけれど、それも解体すれば、自分の心の穴と、性格が悪く見える相手の心の穴の共鳴だったりする。

だから、引き寄せで「性格が悪い人に出会ってしまうのは自分も性格が悪いからですかね」的な解釈をたまに見かけるけれど、悪いっていうラベルを剥がしたところにある、本質的なニーズの一致なんですよね。「わかってほしい」を我慢する私と、「わかってほしい」を堂々とぶつけてくる相手とかさ。

そこで、「性格が悪い人と出会わないようにするために、清く正しい人間になろう」と自分を厳しく是正しはじめると、さらに自分を否定させるような、ストイックさを強要させる相手と出会う羽目になったりします。

 

そんなわけで話が逸れたけど、

すべての人のなかにはほんとうに大きな力があるんですよね。

魂っていうのはどこまでも強くて美しいよね。

ただ、その周りを取り囲む感情の部分は生きている以上傷つくので、その傷によって物事の捉え方に歪みが生じる。その選択によって人生がかたちづくられるわけです。

 

個性というのも、その歪みの一種だったりするから、人間として生きる以上、歪みゼロを目指す必要はない。ほんとに。

しかし、快適に生きるうえで障害になるくらいの歪み(の元となる傷)は、気付いて助けてあげることで、自分らしいリラックスした状態に戻れるのね。

 

でも人間、あえてその痛々しい状態に甘んじてしまうこともある。

重苦しい不自由さのぬるま湯に首までどっぷり浸かって、それによって痛みを伴う自己改革から逃げたり、なんなら自分をそんな状態にした親への復讐で「不幸」を演じ続けることもある。

 

幸せになるために今の自分を否定する必要は1ミリも無いんだけど、

それでもやっぱり、幸せになるためには覚悟がいります。

「ありのまま」に戻るために、足かせになる意識を脱ぎ捨てる過程は、もしかすると楽なだけではないかもしれない。

私の場合は、わかりやすく怒りのエネルギーをバネに使ったし、「もううんざり!」という所まで行ってやっと目を覚ます気になった。

苦しかったけど、中途半端な苦しさだったら、ずーっとウダウダ言いながらそのぬるま湯にいたかもしれない。

 

なにが言いたいかってと、人の魂はほんとうに強くて美しいのだから、たとえ今しんどくても必ず大丈夫になるっていうことです。

七転八倒したとしても、「ぜっっっったい幸せになる」と決めたら、バーンと起き上がれる日が来ます。

大丈夫だよ。

 

 

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