ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

今日東京駅に天使がいたと思います(東京都・35歳女性)

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(ぐっはー温泉行きたい………!!!!!)

 

 

帰宅途中、東京駅で乗り換えのためにエスカレーターをくだっていたら、突如世界が別物のように私から離れてみえた。

いつも通る、馴染んだホーム、広い階段、床のツルツルした大理石のマーブル模様、ポスター、柱、案内板、構内放送、その空間のすべてが、どこか遠いところからいま突然目の前にやってきたような解像度で迫って、そのなかにいる自分の存在をとても奇跡的なもののように思えた。

いまここにある命は大河の一滴のようだ。

大きな河の流れから零れた水滴ようにこの世界にやってきて、そしてまた同じ河に戻ってゆくのなら、二度と戻らないこの瞬間の尊さたるやなんだ。なんて尊くて、壮大なタペストリーの中に私たちは生きているんだろう。同じ空間にいるすべての人々がひとつの大河から零れ落ちた一滴一滴であり、自覚をしているかしていないか、そして人格や生き方の個別差を超えて絶対的な魂の根源を共有していて、そして別々の人間として生きながら等しく尊い瞬間にいる。

 

そんなことを、感じたというより、突然頭にバコーンと入ってきて、そしてなんとも言えない幸せな気分になった。

これはたまにあるスピリチュアルのぶっこみシリーズだ。東京駅は波動が合うのか、たまにこういうものが降ってくる。誰かが何かを教えようとしてくれているのかなーなんつって私はその存在に感謝したりするんだけども、こういうのって、信じない人からすれば「頭おかしい案件」になるのかもしれない。なんかニューロティックな世界観というふうに、引いた目で見られたりするかもね。少し前の私のように。

 

これもスピあるあるだと思うけど、「参考書」の読破に一生懸命になるあまり、頭であれこれ考えすぎて直感にフィルターがかかることがある。

でも、内面を見つめてゆくにつれ、直感、感覚、ハート、などと自分で思い込んでいるものの多くも、じつは思考で成り立っているということはよくある。

そう考えたら、どれだけ本を読んで思考を積んでもびくともしない、山積みの意識の後ろから、自我を超越した閃きのようなものが突然立ち現れるとき、それが本物の魂の声なんじゃないかというふうに思った。