ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

空腹で良い買い物はできない。恋愛もね。

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今読んでる本に書いてあったことば。

「空腹で良い買い物はできない」

その本のタイトルはまさに、「愛しすぎる女たち」

 

自分を愛せない人に人は愛せない、と言いますね。

それをどうやってわかりやすく例えるか、ということを、すこし前から考えていました。

まさにこれね。

 

飢え死にしそうなくらい腹ペコでスーパーに行ったとしましょう。

そしたらまず、まっさきに手に取るのは、砂糖たっぷりのドーナッツとか、油塗れのジャンクフードとか、手っ取り早くエネルギーチャージできそうな食べ物ではないかな。

わかりやすい刺激(快楽)はあるけれど、冷静に考えればたいして美味しくもないし、自分を健康にしてくれるわけではないもの。

そして、満たされた状態で買い物に行けば、スルーできるようなもの。

間違っても、飢えた人間が最初にカゴに放り込むのは、旬の有機野菜とかではないはずです。

 

恋愛においても、同じことが起こります。

内側の愛情が枯渇していると、それを満たしてくれそうな相手や関係性を血眼で探します。

というか、「自分の心の穴を満たしてくれるか」というところにしか目がいきません。人を愛する余裕なんてないし、愛されているかどうかは1日28時間くらい考えるけど、自分が相手を愛しているかどうかなんて1秒も考えないし、なんなら、相手のことを人間としてすら見ていません。(私もそうだったぞー!)

そんな飢餓感でガッついても、幸福な関係を築き難いのは周知のとおりでしょう。

しかも、そんな時に選ぶ相手は、なかなか難しい相手ばかり。既婚者だったり、めちゃくちゃモテる人だったり、反対に女性に興味がなさそうだったり、性格に問題があったり。

得てして、誠実な人より、セクシーな人。

あえて困難な関係や相手を選ぶのには理由があります。

なかなか愛をくれない相手は、なかなか愛をくれなかった親の代替えです。

困難だった親子関係を恋愛を通して追体験して、今度こそ愛を引き出すことで幼少期の愛されたかった自分を救おうとしているんですね。

誠実に安定して愛してくれる相手だと、親から欲しかった愛をもぎ取ったことにならないのです。そういう人たちにとって、恋愛とは、「愛情のゲームで勝って上がるためのチャレンジ」なので、勝つことに意味があるのです。

 

じゃあどうやって感覚を狂わせる空腹を満たしてやればいいかということなんですけど、要するにこれは「自分を受け入れる方法」なんだけど、

このテーマの記事は今度書くことにしてまだ着手していないのだった(なんやねん)

なかなか壮大なテーマよな。

 

この世のデフォルトとして、人は多かれ少なかれ欠乏感を抱えて生きています。

だから、「自分を愛する」って言っても、欠乏感をゼロにするのは無理なんじゃないかと思う。どんな人でも。欠乏感がニーズを生み、それが人間の原動力になっている側面は否めないからです。

そのなかで、欠乏の輪郭をぼんやりと曖昧にして、どれだけ自分との一体感、世界との一体感を感じてゆくことができるか。

スピリチュアルでよく言う「あなたはすでに愛されている」というのはつまりそういうことなんだと思うけど、そういった言葉だけを渡されて思考で思い込もうとするのは、「私は愛されていない」という本音を殴りつけて黙らせている状態なので苦しいよね。

だったら、「愛されていない!かなしい!」という感情を解放してあげた方がいいよね。

ということで、何はなくとも感情の解放はたいせつです。

とくに怒りと、その下にある悲しみ。これらを解放してあげるだけで、「愛されていない」という囚われからも逃れやすくなります。

 

  

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