ユーフォリアの猫たち

水峰愛のスピンオフ

「災害ワンチャン男子」を考える。(みんな愛されたいシリーズ)

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しかし梅雨があけないね。

ぐずぐずした天気になってもう随分経つ気がする。

梅雨って春と夏の間にあるジメついた一瞬ってイメージだけど、案外長いのね。もうワンシーズンくらい雨季をやった気分。今年の夏は短いのか。

 

この自粛の最中、「別れた昔の彼氏からコロナ渦の私を気遣う(そぶりの)連絡がきた」という女子たちの報告が頻発した。

話を聞いていると、交際当時の関係の深さはあんまり関係ないようで、何年も付き合った相手もいれば、一時のたわむれみたいな相手もいる。

ある女友達がその現象、および輩に「災害ワンチャン男子」という名前をつけた。

 

これについては「ちょっとした便乗魔」くらいにしか考えてなかったんだけどさ(それでもまあまあひどい件)

昨日話した別の友達からも同様の報告があって、もしかすると地球規模の、男子たちの性質を反映した現象なのかもしれないと思い始めた。(大袈裟)

これを言ったら「俺は本気でお前が心配なんだ!」なんつって怒る人もいるかもしれないけどさ。なかなかどうして。

まず、女子を気遣うふりをして、不安なのは自分なのだろうと。

 

こういう先が見えないご時世では、ウイルスの脅威に、普段抑圧しているより根源的な恐怖や不安が反応して浮上してくるというのがスピリチュアル的なあるひとつの見方なわけです。

意識化されないようにしている「ほんとの恐怖」がザワザワと騒ぎ出し、意識にトリックをかけて「ウイルス怖い!超怖い!」に転じさせていると。

その混沌のなかで、「見捨てられ不安」のようなものが浮かんできているのが世の男たちなのではないかという仮説を私は立てた。

 

これまで、たとえば会社のポストに守られてはいても、本当は自分に価値なんてないんじゃないかとうっすら感じていた人たち(感じないように仕事に邁進していた人たち)のほうが、この状況での恐怖は強いのではないかな。

そういう状況だとか、それに連動して家庭内でもなんとなく居場所がないだとか、まぁ人によっていろいろあると思いますけど、とにかくかつては社会活動に乗じて誤魔化してたものが誤魔化せなくなってきている。

その不安の中で生じた「君は俺を見捨てないよね?」という本音が、「君を心配している!」という建前に変わって発信されたというのはひとつあるんじゃないっすかねぇ。

あくまでひとつのパターンの仮説だけど。

人の心配をしたくなるときって自分に心配があることがけっこうあると思う。

特に男子にとって、誰の役にも立ってないと思うのは、女子が誰からも愛されてないと思うのと同じくらいキツくて、だからわざわざ心配という形を取るのかもしれない。

(いや、僕は正々堂々ワンチャン狙いです、という輩もいるかもしれないが)

 

「見捨てられたくない」という願いは切実なものなので、ぜんぜんおかしなことじゃない。人間には誰にでも所属欲求ってあるものね。当たり前に愛されたいし居場所がほしいし、それを甘えだっていうのはその人がどれだけ必死に自分の悲しみに折り合いをつけてきたのかを物語っている。

そういう願いを男子たちはとくに、「弱さ」とみなして抑圧してきたから、ときどきこんな形で出てくるのだと思う。

弱音を吐くなって言われて育ったから、男子も大変なのだ。

ほんとはみんな愛されたいだけなのにね。

強くなくてもあなたの価値は無くならないんだけどね。

弱気な自分を認めることは何も敗北なんかじゃないんだと思う。

 

 

 

 

ただし私は既読スルーしました。

 

 

 

 

 

 

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